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あの頃

https://youtu.be/3UKUqppuCjA

あの頃と言っても2~3年前の話で、それはあの頃と呼ぶにふさわしいかわからないが、あの頃、僕はたぶん、希望とか、明るい未来を想像することすらできていなかったと、この曲を聴くたびに思う。でもこのあと、高校3年生になり、僕はとても大切な人ができて、そこからはだんだんと幸せに日々を送れてきた。

それから数年たって、いま、日々明るいことばかりではないけれども、僕はかなり幸せで、未来をおそれてもいない。

ひと月ほど前に、2年付き合った彼女と別れた。木曜に別れて、金、土、日。4日本気で落ち込んで、それで終わり。どうでもよかったわけじゃない。死にたくなるような孤独感と戦って、これ以上落ち込んでも仕方ないことに気づいただけ。自らが明らかに大人になっていることを感じられたことは、ある意味では そうなってよかったことかもしれない。以前大好きな人に振られたときは2年間も落ち込んでいたのだから、本当に成長したもんだと思う。

ながく自分の心に響く言葉は、その場では理解できないことの方が多い。というよりも、最初はよく理解できなかったからこそ、あとから響くから記憶に残りやすい。そんな言葉のひとつ、iさんの話を、僕はよく覚えている。

すこしぼかして書くが、iさんは僕の4つか5つくらい歳の離れた先輩だ。学生時代に、大好きだった親を亡くした。とても頼りにしていたらしく、おそらく想像の範疇をこえる落ち込み方をしたと思う。最後の挨拶に訪れた人たちが、同情の言葉で先輩を慰めたが、1人、親友だけは、「よかったじゃん」と声をかけた。もちろん、この言葉の意味は、あの頃の僕に、簡単に理解できるものではなかった。

今では、希望を失いかけたとき、この話をよく思い出して、そのたびに反芻する。また、ショッキングな出来事が起きて落ち込んでいる友人には、最後に「よかったじゃん」と声をかけるようにしている。たいていのことは、結局、それでよかったと思えるはずだ。それか、死。基本的に人間は、最後に希望が持てるようになっていると、僕は思う。そうでなければ、死だ。無学だけど、悲観や自殺は世の中で一番罪なことだと思っているし、よく生きようと思ってさえいればそれだけでいいとも思っている。悲観なんて、あの頃の僕のイメージそのものといっても過言ではない。でも、久しぶりに会った友人に、「昔のお前はどうした」と言われるくらい明るくなった。「昔のお前の方が好きだ」なんていう人もいる。まぁなんかそれもわかる。しかし、過去の自分を捨てるような言い方だけど、そんな自分だからこそ言えるのは、悲観は本当に意味がないことだ。時期としてあってもいいかもしれないが、繰り返しだけど、楽観か死か。生き方にはその2つしかない。


あの頃、あの頃も、酒を飲み、こうして文章を書くことをよくしていた。それは今もなお変わっていない。昔の文章を見ると、恥ずかしくて消えてしまいたくなることもあるが、それはそれでいいような気がしている。それも、大人になっていくことだ。大人になることはきっとなにも悲しいことじゃない。人生、未だに知らないことも多くて、そんな未知に出会ったとき、この上ない幸せを感じて、結局僕は、楽しく生きられている。

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