2016年に 煙草喫みは 何を思うのか

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(以前facebookで書いたものです。)

これといってどういったことを書きたいなんてイメージもないが、数週間前、煙草なんて吸えたものじゃないようなひどい夏風邪にかかり、そのまま咳の悪化で軽い気管支炎状態になった。その後1週間ほどの小禁煙を経て、ふと、煙草・喫煙について書きたくなった。

まだ何を書くかも決まってはいないが、これをテーマに文章を書きインターネット上で公開すること、それに当たっては様々な面を考慮しつつも、頭の中で思いつくところは、なるべく満遍なく書きたい。

明記は避けるが、正直なところ、僕の喫煙年数は、同年代の煙草を吸っているひとたちに比べ、はっきりいって長いほうだ。
決してヘビーではないが、一本一本、まずく喫むことはほとんどといってない。
多分、愛煙家の部類に入る方だ。

しかもそれは僕に限った話ではなく、年々、日本の喫煙率は低下をしている中、僕のまわりでは喫煙者は増える一方で、現在ではそれまで煙草を一口も口にしたことない人たちが、成人し立派に(?)喫煙者になりあが(?)っている。

世代ごとの喫煙に関する印象は、データもないから明言は出来ないけれど、時たまメディアで取り上げられる喫煙に関する話題などを見ると、それはなんとなくは読み取ることができる。
少なくとも、僕らのようなバリバリ平成生まれの若者たちは、学校では成人しても「絶対に」煙草を吸うなと言われ、父兄が喫煙者なんてものなら、やめようよと言ってあげてくださいなんて言われてきた。というか、これは世代云々の問題ではないかもしれないが、
例えば僕の母が言うには、「昔は煙草と酒は同じ感覚で、少しならいいなんて言われていた」ということもあるし、ワイドショーで「会社の面接で喫煙者を落とす」という話題をしていた際は、煙草を吸わない人たちが、「休憩するときぐらい、ゆっくり吸わせてあげればいいじゃないか」
なんて発言しているのを耳にしたりする。

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喫煙者にしてみれば寛容な意見でありがたいとも思えるが、煙草=悪といったような教育を受けてきた僕らにとってみれば、なんとなく違和感を覚えないこともない。
だって、煙草は悪いものなんだから。
そこに是非があるなら、吸っている人が、間違っているんだから。
そう教わってきた我々にしてみれば、「ゆっくり吸わせてあげろ」なんて、「他人を威嚇するような和彫りをしている人たちにだって、ゆっくり温泉に入れてあげなよ」くらい矛盾を感じる。
それくらい、喫煙に関する学校や大人たちの教えは、変容していると読み取れる。

まだ、どう結論づけるかも決まっていないが、先にも述べた通り、僕の周辺はいつの間にか喫煙者だらけになり、はっきりとは計算していないけれど、多分90%は余裕で越えている。何年か会ってなかった友人さえも、当たり前のようにそうなったりしている。

そんな何年か会ってなかった友人と、3か月ほど前のことになるが、連絡をとっていない期間を経て、お互い都合よくジャズ好き(と言っても、僕は浅いです)という一致があり、僕の部屋でレコードを聴きながら、お互いの知らない、空白の6・7年間のことを、煙草片手に語り合った。
偶然にも、同じような中・高時代を暮らし、私生活や家庭のことなど、そこまで共通点があったようにも思えない幼少期とは、打って変わったような似た者同士だった。

喫煙者や元・喫煙者ならわかるように、吸いつつも「そろそろやめなきゃ」とか「禁煙期間」なんてものは、常に繰り返される。当事者だって、世間にのさばっている明白な害の情報を知りつつ、吸うたばこに、一ミリも後ろめたさがないわけではない。
そして、もう何度繰り返したかわからない何度目かの「そろそろやめなきゃ」というぼんやりした気持ちを抱えていたとき、彼と会い、様々なことを語った。その中の話の一つに、彼の母が重い精神疾患を患い、それに苦労した過去の話があった。

幸い、今では彼の母も通常の生活をできているそうだが、彼は短くなった煙草を見つめ、

そん時、こいつに助けてもらったんだよな、
と 言った。

それから僕は、煩わしくまとわりついていた気持ちを、いったん、捨てることにした。

それから数か月経ち、冒頭にもある通り、僕はひどい風邪を引き、全く吸いたくなくなるまでの状態になった。結果的にそれは1週間という、長いようで短い禁煙期間であったが、その間、体の軽さや、味覚・嗅覚の正常化、その他諸々の感覚の正常化を経験し、煙草が「麻薬」であることを認識し、喫煙者がニコチンに蝕まれた「操り人形」だということを感じた。

そして、そんな「こいつ」とも、いつかは別れを告げなくてはならないことを改めて深く感じた。


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禁煙をしようと思う度、青春の思い出で頭が回らなくなり、死と同等ともいえる寂しさを覚え、僕はいまだに煙草をやめられないでいる。

なんせ、煙草は旨い。

しかし、これまでと違いはっきり言えることは、それは喫味ではなく、紛れもないニコチン中毒だからだ。
煙草は形を変え、喫煙スペースでも、「俺は一生煙草を吸い続けるぞ」なんて言ってたんじゃないかという面相をした人でさえ、電子煙草を使用しているなんて光景も見るようになった。

未来の先見は僕にはできないが、かつて「ガラケー」なんて名称すら周知されていなかった時代をとうに経て普及したスマートフォンのように、電子煙草はどんどん普及し、紙巻きはいずれ姿を消すであろう。
なんにせよ、煙草喫みにとって紙巻き煙草は良き思い出であり、
又、思い出になり、誰かにとってのひとときの助け役であったことまでも、排斥し、風化させる必要は、きっと、ない。