ネットフリー

帰宅ラッシュの電車内、ふとpcから目を離し車内を見渡してみる。

前の列には立ち乗車大勢、俺の列に6人が座っていて、全員スマフォ。

ぎゅうぎゅうに揉まれつつも、みんな一生懸命スマフォ。

ケータイを手にしていない人、確認できて3人。

 

別にそれ自体は問題ないはずなんだ。

でも残念なことに、そうしていて楽しそうなやつはほとんどいない。

もうネットには、欲望の塊みたいな連中が簡単に大金儲けるためだけにつくられたゴミみてぇなコンテンツしかない。

それなのに、この車内にはそれをいじることによってしかそこに居られない、退屈を一生懸命凌ぐ外ない奴らしかいないらしい。

これはもう病気でしかない。ギャンブル依存症のそれと原理は何ら変わりない。

結局はケータイをいじることによってたまに得られる快感を脳が学習して、猿のようにケータイをいじるというスパイラルにハマっている、ただそれのみ。

だが俺だって他人事じゃない。

ストレスにしかならないsnsの投稿はもう遡れば5年も続けているし、消すに消せない。その瞬間を想像すればまるで恋人とさよならする時と同じ感情にさえ陥る。

幼稚園児の頃からエロ画像を検索していた俺は、インターネットに触れつづけてもう20年になる。ネットが嫌になることなんて数えきれないほどあったわけだが、現状のネットはそのなかでも、溢れるコンテンツに対して一種の呆れのようなものを感じている。

そしてそれを利用し続けるユーザーにも。

現実はスマフォの中にはないのに、もはや俺らにはインターネットが構築した世界が現実以上に重いものになっている。過剰なつながりが結局は大きな孤独感になることも、常に誰かと比べることでしか得られない優越感も、他人に認められなければ確認することのできない幸福感も。全部ネットが増長させている。

 

「お前が適応できないだけだ」と言われても構わない。

でも同じようにストレスを抱えているやつらは沢山いるはずだ。

俺が劣っているんだとしたらそれでいい。

この数日いらない接続を徐々に控えているが気分は良好だ。

ここには大事なことなんて何もないんだから。そうしてまた徐々に、うまく付き合っていければいいと思っている。