スナドリネコさんから学ぶ、人間のこと
ひどい夢をみた。
いま巷では「サイコパス」という言葉がよく使われるようになったが、そんな言葉が本当に似合う、おぞましい悪夢をみた。2週間くらいまえのことだ。
あまりにも衝撃的な内容なので、ここに書くのは躊躇いがあるが、要約すると、猟奇的な主人公(おそらく自分)が見ず知らずの女性をストーキングし、最終的にはひどく残酷な方法でその人を傷めつけ服従させるようなストーリーで、第三者視点で観てる映画のような夢だった。
ものすごく怖かった。思い出すだけでバッドに入るそうになるし、ディテールに関しては、今後の人間関係に影響を及ぼすのではないかと思うくらいの内容だから、親しい人にも話していない。とにかく「サイコパス」な夢だった。
「悪夢」と呼ばれる類の夢は、日ごろなんとなく不安に感じている事柄だったり、恐怖を感じた実体験がベースになることが多いように思われる。その点、今回の夢が恐ろしいのは、内容のおぞましさだけではない。思い当たる節が一切無いということ。つまり、その夢をみた当日、或いはそれ以前に、その悪夢に繋がるような経験を、全くした覚えがないのである。ヴァイオレンスな映画を見た後なら理解できるが、そのようなことは一切ないのだ。
しばらく俺はうろたえた。
思春期の一時期に、人並みにグロテスクな事へ興味を持ったことはあるが、それから俺はべつにサイコな物語は好きじゃないし、性癖だって「巨乳 素人」以外の検索ワードに興味がない。ゴキブリもちゃんと嫌いだ。
だが、俺がその夢を見てしまったのは認めざるを得ない事実だ。自分が、日ごろ微塵も考えないような気味の悪い物語を見てしまった。それがどういうことか。結局、微塵も考えていないなんてのは嘘だということだ。俺はしっかり、そういう 良くないことを、無意識のうちに避けているだけで、何が秩序であり、如何に自分が秩序正しいかを自認する為に、さもまともぶっているだけに過ぎないのだ。
「本当の自分」がなんであるかを考えることは、それ自体に意味があるかはわからないが、人はおおよそ、本当の自分を覆うように生きているように思える。「必要以上に優しい人」を例にとるとわかり易い。異常とも思える気遣いで、「そんな事しなくてもいいのに」と思えるくらいに世話を焼く人。経験則なのでこれは一概に言えたことではないが、彼らがそうした行動を執るのは、優しくない、本当の自分の性を否定することに始まっていると考えられる。いわゆるDV男の行動もこれと同様の性質である。
無学なので時事ネタをああだこうだいうのは好ましくないと思うが、例のナイナイ岡村風俗発言には、人はそうした宜しくない事を考えるものである、という事をより認識させられた。加えて、そういう人のおぞましい部分を、さも異常で、人間とはそういう事を一切考えない潔白で性善な生き物であるとでも言ってるような主張に対し、世間の一部はその程度の浅はかさでモノを言うのだということも感じた。
自分を知らなすぎるのだ。人は、おぞましい事が何であるかを知らなければ、それを避けることができない。それが何であるかをよく知っているから、秩序正しくっぽく振る舞えるだけのことである。それを知らずして、人は人の何を知っているというのだろう。
画像は総て いがらしみきお「ぼのコレ」2巻より引用(ごめんなさい)
今回の悪夢を見た後、俺はぼのぼののある話を思い出した。
ぼのは、散歩しながら、倒れているアライグマくんを踏みつける。ただそれだけの夢を見て、夢って何でへんなのかについて考え、島の人々に聞いて回る話だ。
スナドリネコさんはなんでも知っている。きっと、作者のいがらしみきおが何でも知っているのだ。でも、今の社会は、何にも知らない人々の声の方が、強い力を持っているのかもしれない。
"人は満ち足りた生活の中で、自分たちの中にそれが棲んでいることを、ふと、忘れてしまう。そして、突然、邪悪が顔を覗かせた時、ひどくうろたえる。-それが自分であることさえ、認めることができなくなってしまう。自分を知らなすぎるのだ。知ろうとすることに怠けすぎているのだ。" pic.twitter.com/zeKSbhxgS6
— kisablow shiba (@tu_9005) 2020年3月25日
唯川恵「あなたが欲しい」より引用